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こんにちは。
今回は、画家それぞれの個性が爆発しおもしろくなってくる、カメラ誕生後のアートを見ていきたいと思います。
(いわゆる、複雑で難解で意味が分からないと言われるものです。汗)
まず前提として、
私達人間は皆いつの時代も、より美しいものや良いものや新しいものを求める生き物です。
「もっと美しく!」
「もっとかわいく!」
「もっとかっこよく!」
新しい髪型、メイク、ファッションなどもそのうちですね。
もちろん、芸術家もです。彼らはいつも真剣にそんな事を考えています。
ルネサンスが終わってからカメラが発明されるまでは更なる美を求めて、既にあるものよりすごいものを作りたい一心で、
「これが良い!」
「やっぱこっちの方が良い!」
「いや、昔に戻ろう!」
「やっぱダサいな!」
などを繰り返しつつも、歴史画、肖像画、静物画、風俗画、風景画がリアルに描かれ、アートは(主に絵画)写真の役割をしていた時代でした。
(前回の記事でお話していますので、まだの方は是非こちらもお読みください☆)
しかしカメラの発明後は、リアルさを追求したってカメラには敵いません。
なので彼らは単なる美ではなく、
カメラには出来ないアーティスト自身のオリジナルの”何か”
を探し求め試行錯誤していきました。
そのオリジナルの”何か”の中に、もはや美とかではなくてアーティスト自身の内面の表現だったり、何か新しい方法やそもそもの考え方などがでてきました。
幾何学や精神医学や心理学や哲学など、皆何やら考えに考えた結果、しまいには特に何も表現していなかったり、「無」を描くという境地にまでたどり着くこともありました。
⇒意味の分からないアートの始まり。
とにもかくにも、全てはすごく考えた結果!ちゃんと、というか考え過ぎじゃない?という位考えていた、ということだけでも知ってもらえると、今日のこの記事の8割はゲットしたようなものです☆
考えられ過ぎてもはや見ただけでは誰も理解できない作品たち。
しかしその作品やスタイルが出来た経緯を知ると、
・「お~~!!そんな考え方があったのか!」と新しい考え方を発見する事が出来ます。
・特に何も表現していない、答えのない作品などについては、自分の想像力を発揮して自由に楽しめます。
これらが、よく分からないアートの醍醐味であります。
(以下の記事にて、知識なんてなくても全然良い、意味分からない系アートの楽しみ方も書いていますので是非こちらもチェックしてみてください☆)
でも少し知っているだけで楽しさも倍増するので、カメラ誕生後のアート、いわゆる近代(モダン)アートや現代(コンテンポラリー)アートと言われている19世紀後半以降のアートを、今日は少し見ていきますね。
17世紀中ごろからずっと美術教育を司っていた芸術王立アカデミーの形式が、
「古典的で古臭い」(古典=ローマやギリシャやルネサンスのスタイル)
として、19世紀後半に反発が起きていました。
その中に、印象派と象徴派がありました。
この2つはほぼ同時期に行われており、それぞれ後の様々なスタイルに影響していきました。枝分かれのそれぞれの一番最初です。
印象派は、目で見た一瞬の光の移ろいなどの”印象を”忠実に捉えようとしました。
なので素早く描かれラフなタッチ、
かつ非常にまばゆい色彩が特徴です。
丁度チューブ式絵具が開発された事もあり、絵具を外に持ち出して外で描けるようになったという理由もあります。
印象派は、
など、それまで絶対とされて来た伝統と反対の事をしたため、アート史において非常に革新的で重要です。この後のアートの大きな転機となりました。
象徴派は芸術の伝統だけではなく、当時の物質至上主義社会(精神的な事よりモノや金をたくさん持ってるのが何より大事という考え)に、強く疑問を持っていました。
でも、「それは違うのではないか?もっと人間の内面に目を向けようよ。」
ということで、人間の苦悩や不安や夢などを、神話や文学や何かを用いて連想させ、間接的に表現しました。
象徴とは「平和の象徴は鳩」というように、何か形のないもの(平和)を具体的な何か(鳩)で表現することです。
なので、形のない目に見えない人間の内面を、具体的な何かを用いて表現したこのスタイルを象徴派と言います。
2つ、例を見てみましょう。
この女性(サロメ)は、男性を翻弄する女の象徴として何度も描かれます。
巨人族が海の妖精ガラテイアに恋をするというギリシア神話を用いて、叶わない恋心を象徴的に表しています。
以上、
・印象派は目に見える現実を新しい方法で忠実に表現するということで、後のフォービズム(色の新しい使い方)や、キュビズム(視点を増やした)に繋がっていきます。
・象徴派は、目に見えないものを表現するということで、後の表現派や抽象派に繋がっていきます。
このように、アートは過去から現在、現在から未来へと、どんどん進化しながら繋がっていくものです。
なので、その繋がり等にも注目してみると、
「あ~だからかぁ!先輩がこの人だったから、ちょっとその先輩っぽい所もありつつ新しいんだな!」とか、
「これに反発した訳ね!」と分かり、更に理解が深まっておもしろくなります☆
では、次を見ていきます。
英語にする方が分かりやすいと思うのですが、
先ほどの印象(Impression)と
この表現(Expression)は、
反対の対照的な動きでした。
印象主義が物事の外見(光など)に注目していたのに対し、
表現主義は画家自身の主観的な感情や心の反応でした。
人間の心の内部という面では象徴主義と同じですが、象徴主義のように何か既存のものを用いて間接的に表現するのではなく、オリジナルな表現で感情を表していました。
突然聞こえてきた叫び声による不安と恐怖が表現されています。
「私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に炎のような血と舌が被さるような感じだった。友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた(感じた)。」 ムンクの当時の日記より。
彼本人と恋人を描いたとされる彼の代表作。
自分のせいなのですがドロッドロの恋愛劇を繰り広げて、
自分のせいなのですが愛する恋人を離さなけばならなくなった、、
でも離したくない、、でもその恋人は去っちゃう、、、
自分のせいなんだけど、、、という葛藤が表されています。
彼については映画にもなっているので是非観てみてください☆どうしようもない人だったようですが、とにかくイケメンです。
元々は印象派だったり、印象派に大きく影響を受けながらも独自のスタイルを追求していたゴッホやゴーギャンは、原色をメインに、激しく大胆に、力強い作品を描きました。
それまでとは違い、色の持つ力をより信じ、色使いに自分の感性を少し取り入れてみたのです。
つまり、元の色にとらわれず、自分の感性で自由な色の選択を少し取り入れていました。
以下3枚とも、本当の夜空や肌の色とは少しだけ違うのが分かるとおもいます。
この流れを引き継ぎ、全っ然違う色を使い始めたのがフォーヴィスムの画家たちでした。
彼らは、空と言えば青とか砂浜と言えば白とか、そんな常識を取っ払い、描きたいものを自分が感じる色で自由に描きました。
全然違う色で描いて良いなんて誰も思っていなかった時代にそれをやりとげた彼らのこのスタイルは、新たなアートの可能性を開けてくれた非常に重要な革命的出来事でした。
特に以下の作品の作者アンリ・マティスは「色彩の魔術師」と呼ばれており、色の持つパワーを信じていました。
なので、たった3色しか使っていない絵でも非常に躍動感あふれる力強い作品を生み出しました。
実際はこんな色の人はいませんよね。
これなんて、たったの3色です。
印象派のグループの中に、セザンヌという人がいました。
彼は次第に「印象派は光に固執し過ぎて構図がおろそかになっている」とし、印象派の色彩表現の美しさは引き継ぎながらも、独自のスタイルの追求をしました。
そして、これまでにない遠近法や、複数の視点を使う空間表現を編み出しました。
よく見たら、斜め上から椅子を見てるはずなのにその割には微妙に食器の角度が現実にはありえなかったり、さりげなくですが別の角度や別の視点から見た物たちが混ざっています。
以下の動画で分かりやすく説明してくれていますので是非見てみてください。
この影響を多大に受けたのがジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソ。
彼らは1つの視点から書くというそれまでの常識を完全にぶっ壊し、様々な角度から見てバラッバラに解体し、そこから自分たちで一つの作品の中に再現しなおすという全く新しい手法を取りました。
それは、三次元のものをいかに二次元で正確に表現するか、を追求しようとした結果です。(単なる落書きじゃなかったんですね。)
例えばサイコロを正しく表現するには、今見えている数面(多くて3面)を描くだけで良いのか、いや、それでは六面あるサイコロを正しく表現した事にはならない。なので展開図にします。
しかし広げただけでは、キューブ状である事は表現できません。
なので、なんとなくキューブのカタチにあわせつつ組み立てなおして、そのものの本当の姿(六面あってそれぞれ数字が書かれていてキューブ状)を忠実に表そうとする考えです。
ですので⇩の作品のように、なんとなく女性とかギターであることは分かるけども顔面や身体やギターが分断されているように見えたりするのです。
視点を増やすなんて誰も考えもつかない事をした彼らの功績もまた、アートかいにおける大きな革命的出来事でした。
これら色と形の革命は、より自由な発想、色や形の美しさを強調する抽象芸術全般に繋がっていきました。
きました抽象!分からない系アート!
なぜ分からないって、
表現してるものがそもそも特にないからです!
ないのですから、考えても答えが出ないのは当たり前です。元からないのです。
これまでは、目に見えないものであれ、”不安”とか、何か具体的な物事を表現してました。たとえ色や形を変えて見た目には何か分からなくなったところで、一応”女性”や”ギター”を描いていましたね。
でも抽象画は、対象そのものを排除しました。すごく簡単に言うと、
「特に何も表現しなくても、色彩や線や四角や丸など形だけで心動かされる程美しい。いや、その方が美しくそれこそが本物の芸術である。」
という考えです。それでは2大抽象アーティストを見ていきます。
教授、理論家でもあった抽象絵画の父と言われているワシリー・カンディンスキーによる抽象美術理論は精神額や神智学も入っており非常に難解です。
しかし彼がこの考えを出したきっかけは以外とシンプルです。
「若い時に見たモネの作品が一体何を表しているのか分からなかったけどすごく美しく感じた。」
「すごく良い!と思った作品が、自分の作品が逆さまに置かれていたもので、自分のだと気づいたら良さが分からなくなった、、」
という、彼自身が分からないものに感動を覚えたからです。
彼は色や形を「響き」として、まるで音楽を奏でるかのように使い、自分の内面に感じるイメージ等を描きました。
なので彼の作品は絵なのに何故かリズミカルで、個人的に私の一番大好きな画家でもあります。
彼はテーマや対象などあらゆるものを排除して抽象的な美を突き詰めた結果、絵画とは対象物を描かなけらばならないというルールからの解放、つまり「無」を表現する「シュプレマティズム理論」を創設しました。
カンディンスキーも、特に具体的なものではないですが何かイメージとか自分の内面とか精神的なものとかそういうものを描いていました。
しかしマレーヴィッチは、
もう、そもそも何も表現しない!!!!
その結果が、こちらです。
これはもう大衝撃です。「アートってそんなんで良いの!?」という、常識を引っくり返してくる出来事でした。
皆、何かを表現するのが芸術だと思っていました。
たとえ見えない何かでも、たとえ変な色使いでも、たとえバラバラのグチャグチャになっても。
特に具体的なものでなくても、カンディンスキーのようにおしゃれな絵でした。
それが、これです。これこそ本当に誰でも書けるじゃないかと。
しかも「無」を表している。。。
これが、「もう何でもアリなのか?」というような謎のコンテンポラリーアートブームに大きな影響を与えたのでした。
ちなみに彼は様々なスタイルを学んだ上で行きついた先の、このスタイルですので、絵が下手な訳ではありません。⇩のようなキュビズム的な作品や、印象派のような作品も発表しています。
M・V・マチューシンの肖像
この後のアートからは、
作者と観る人の対話で成り立つ
作者の問い(作品)に観る人が考える
観る人が価値を与える/答えを出す
という潮流になってきますので、分からないが加速します。
例として、こちらをご覧ください。
泉 by マルセル・デュシャン
男性用小便器にサインしただけのものです。考えても、作者は答えを教えてくれません。そもそもないのです。観る人が考え続けるしかないのです。
このように、アートの目的自体が考えさせる事になりました。
「人々に問いかける、考えさせるのが芸術の新しい形」のスタートです。
観る人の目よりも脳に刺激してくるようなアートです。
ちなみにこのようなものを、“コンセプチュアルアート(概念芸術)”と呼びます。
ちなみにこの頃は第一次世界大戦の時代で、デュシャンはこの愚かな戦いを止めれなかったそれまでの文明に不信感を持ちました。そこで、美とはあえて逆の便器を使うことで文明ごとひっくり返し、新たな文明の模索を試みたという意図があります。(作品に答えは無いですが、作られた経緯は意外とずっしり重いものがあったんですね。)
こういう、もはやアートかすらも分からないものを見た時は、是非とも好き勝手にストーリーや意図などを考えちゃって下さい☆
楽しみ方は以下の記事に書いてます☆
さて、1950年頃からは逆に、庶民にも分かりやすい目で直観的に楽しめるアートも、技術やテクノロジーの発展と共に盛んになってきました。
バババっと見ていきます!
抽象アートの一部なのですが、こちらはキャンバスを床に置き、絵具を振り散らすというライブ感があり、見た目も鮮やかで難しい事抜きにおしゃれです。
広告や新聞といった大衆文化の代表的なイメージを利用したポップなアート。
レアンドロ・エルリッヒ スイミング・プールのように、観る人が中に入ることで楽しめるアートです。
テーマパークや大規模な駅など、近年急速に盛り上がってきているプロジェクションマッピング。
また、日本が誇る漫画も展示会が行われていたりと、アートとしての価値を見出してきていますね。
いかがでしたでしょうか。すごく長くなってしまいましたが、ここに書いたのはほんの一部です。
19世紀後半以降は資本主義、様々な技術、交通網の発展、万国博覧会などがありました。
よって、アートがリッチな人だけでなく一般市民にも広がり大衆化。
また個人の自由が出せるようになり、移動が簡単になった事で国内外のアーティスト同士の影響が活発化。
19世紀後半以降は、今日見てきたようにアートがとっても目まぐるしく激変し続けました。
なのでなるべく端的に、おもしろくて重要なとこだけをお話してきたのですが、さすがに量が多すぎて、少し皆さんを疲れさせてしまったかもしれません(^^;)
しかし!!!
現在はインターネットのみではなく、SNSやzoomやなどオンライン配信サービスにより、もう世界の物理的な垣根が極限にまでなくなってきました。
世界のどこからでも授業を受けれるし、一緒に作品も作れるし、オンライン上でのオンラインだからこそできる作品が生まれたり、、、
(私も作りました。⇩)
よって、アートは(アート以外もですが)更に目まぐるしく進化&変化し続けています。
本当はもっと多くてもっと哲学的で難しかったりするのですが、
「楽しむのにそこまでの知識は要らない。アートをもっと身近に!」
というのが私のモットーなので、ここまでにしておきます☆
冒頭にも述べましたように、
「アーティストそれぞれ自分のベスト、
どこにもないオリジナルを作る為に考えに考えて、
固定概念を取っ払い続け、
新しい色んな方法や考え方を編み出していっていたんだな。」
ということだけ抑えて頂けたら十分です☆
アートは社会と共に、アーティスト同士刺激し合いながら常に進化・変化していきます。
なので、これからもどんどん色んな作品が出てくるでしょう。とても楽しみです☆
今回の「超簡単アート史・西洋美術シリーズ」は、超簡単と言いつつも大事なつながりや、アートを楽しむ為の情報などはしっかり入れました!
なのでこれさえおさえておけば、もうどこのギャラリーや美術館でも、次に行かれる時は楽しさが倍増しているはずです☆
皆さんのお役に立てる事を祈って、本日はこれにて失礼致します☆
「アートの力で、一人でも多くの人が生きやすくなる社会を目指して!」
ありがとうございました☆
Aika.