‘BLOCKS’ – JOINING STYLE PERFORMANCE

S|R|P|Zとのコラボレーション作品’BLOCKS’ トレーラー

「アートって、自分の作品って、誰の為のもの?」

自分の自己満足や貯まる感情の発散で終わらせたくない。

たとえそうだとしても、何らかのカタチで、
誰かの為のものでありたい。

もっと、お互いにベクトルが向きあった作品を作りたい。

もっと、キャッチボールがあっても良いのではないかな。

いわゆる”アート”とは、作者の気持ちや想いや何か伝えたいことが、作者からお客さんへの
一方通行がほとんどではないでしょうか。「鑑賞者が感じるままに。」というアートもありますが、
基本的には作者がする事/作ったものを、お客さんはじっと静かに見つめる。
特にコンテンポラリーダンス作品。そもそも、誰に、何を伝えて、その人にどうなってもらいたいのか、、、
というような具体性がないものが多い、もしくは分かり辛過ぎるのでは。

それを変えてみたい!

お客さんも考えをシェアして!
喋って!
突っ込んで!

それに、
一人は身体で、
もう一人は言葉で即興で反応!

そのような作品を作成しました。

ディスクリプション

‛BLOCKS’とは、「参加型パフォーマンス」と名付けられた新しい形のオンラインライブパフォーマンス。―初演 2021年2月26日 8:00PM (NY時間)

一緒に何かについて考え、意見交換したり、ディスカッションをするという相互作用的な場にすることによって、一般的なパフォーマンスのアイデアを変えてみた作品。

オーディエンスと一緒に、オーディエンスの為に作られたパフォーマンス。
子供たちの定番の遊びである積み木にまつわる考えや、私たちの発想やアイデアに対し、私たちの周りで起こることやオーディエンスの反応に反応、身体と言葉で即興。
オーディエンス、思考、ダンス、言葉など、パフォーマンス中に起こる全てが共に作り上げる、二度と同じものは出来ない、その時限りのオンラインライブパフォーマンス作品。

オリジナリティ

  • オーディエンスがパフォーマンスに入れる
  • パフォーマンスが、全員の意見交換/ディスカッション/コミュニケーションの場
  • ベクトルが従来の作者⇨鑑賞者全員ではなく、作者⇄鑑賞者一人一人、そして鑑賞者間でも⇄。
  • 私達なりに伝えたい事はある。でもそれを一方通行ではなく、「私達はこう思うのですけど、〇〇さんはどう思います?」という姿勢
  • 私たちの考えと、皆様の考えなどをリアルタイムでシェア

プロセス

全ての始まりは、2020年11月30日から。クリスマスプレゼントの為に2人でウィンドウショッピングをしていた時に、たまたまとあるかわいい食器屋さんに入りました。そこで、”Art in blocks”を販売しているポップアップコーナーを発見。2人共そのブロックにとても魅了され、その中でも私が特に惹かれた2つを購入。 

サラにとってはそれらが絵的にとてもおもしろく、良いインスピレーションとなるだろうと思ったそうです。1つは巨大なクジラとランプのようなもののサイズ感だったりコントラスト、もう1つはもう一体何なのか全く分からないところが、彼女をとても惹きつけました。

一方私は、絵的に惹かれたのはもちろんのことながら、それよりもブロックが積まれ、そして崩れるという動作にとても惹かれました。なぜなら、それらは毎回全く違うものだったからです。

私は帰宅後ずっとこれらのブロックを触り続け、更には他にブロックになりそうなものまで取り出してきて、この“遊び”を拡大化。

しかし何時間も遊んでいるうちに、私はブロックを壊しているのか、組み立てているのか、分からなくなってきました。

何度も何度も色んな形の積み方を試し、その都度様々な角度から違う大きさの衝撃を与えることによって、色んなブロックの散らばり方を見ました。その中には気にいらない積まれ方や散らばり方もあれば、「もう一回同じのが欲しい!」というものもありました。 

気に入らなければ、次は絶対にそうならないようにする。
気に入れば、次ももう一度同じ結果になるようにする。

しかし積み方はさることながら、全く同じ散らばり方を再現するというのはほぼ不可能です。なので、私はとても注意深く観察し、たくさんのこと(角度や速さや力加減など)を考え、戦略を立てなければなりませんでした。

つまり、私はブロックを積み、壊し、そしてその積まれ方や壊され方から次の積み方と壊し方を無意識に考えて実行していたのです。たった数秒前のものと同じ形を再現することは一度もできないまま。

「あれ?これって、人生と同じじゃない?」

たくさんの失敗。
その過去から学ぶ。
今と言う瞬間はワンタイムオンリー、二度と戻ってこない。

どうにかこれを作品に出来ないか。その気持ちをサラに伝えると、彼女の大切にしている人生観とも一致し、作品をより深く良いものにするためにコラボレーションする事がその場で決定。

 テーマは決まっていたので、あとはどのような構成で、良い作品にするかということ。

積み木の動きや人生は一度限り。なので、作品も即興性があるものにしたいという希望がありました。そこで、私は身体、彼女は言葉によって、積み木の遊び心や可能性などを映すことになりました。 

ここから、共に伝えたいことを箇条書きにしていき、どのようにそれぞれが動きもしくは言葉を即興で紡ぎあわせていけるのかという検証をしていったのですが、それだけでは満足できませんでした。

なぜなら私たちは、「いかに多くのダンスパフォーマンスが、作者の中で完成されたメッセージを一方通行で届けるだけか。これを変えたい。」と話し合ってきたからです。

なので、「オーディエンスにも参加してもらい、私たちのアイデアに意見を言ってもらったり、反応してもらう。それら全てを一つの作品にしよう。」という決断に至り、“参加型パフォーマンス”と言う名前をつけました。

近現代美術/美術批評家 からの評価・コメント

今回のパフォーマンスの、ブロック=積木にダンスの可能性を見出そうとする部分に関心を持ちました。

そもそも積木を発明したのは、フリードリヒ・フレーベルという教育思想家ですが、 フレーベルの積木は、フレーベル教育のかなめになるもので、非常に重要なオブジェクトでした。 フレーベルは、そこで世界を直感的に把握する方法を積木に見出していたようですね。
直感的というのは、つまり、直接その「もの」を掴み、動かすという積木の身体的な側面にあったと思います。つまり、積木はその点で運動や身体と関わるものであり、それが直接、世界の把握と関わり合っている。だから、積木に身体と世界の把握の直接的な結びつきを見るという観点は、たしかにダンスと共鳴する部分があるんじゃないかなと思いました。

その点で、ぼくはサラさんの積木を重ねたり、崩したりする運動それ自体を「ダンス」として見ていました。その背後でアイカさんが踊っていたわけですが、zoomの画面では、遠近法的にアイカさんがテレビのなかの人物のように小さくなるので、画面のなかで積木とダンスセッションしているように見えました。

積木は、ふつう、積み上げ、構築するものだと思われていますが、積木の重要な側面として、何度でも壊し、やり直せるという側面がありますね。つまり、その意味で積木は、構築と破壊、生成と消滅を運動として繰り返すものでもあります。
だからそれは、そもそも、自然のサイクルや、わたしたちの身体とも似ていると思います。新陳代謝を繰り返すものであるという点で。

今回のパフォーマンスで重視されていたのは、インタラクティブな要素、つまり双方的なやりとりのなかで、パフォーマンス自体が、その都度ほどけたり意外な場所に結ばれたりする運動性にあったと思うのですが、それ自体が、積木やそれが示唆する自然の流動性、新陳代謝とも関係しているのかなと思いました。 そういう点で言えば、アイカさんのダンスや積木の運動だけではなく、サラさんの指の動きや、「おしゃべり」も一種のダンスですよね。(たとえばイヴォンヌ・レイナーが手術のために入院しているときに手だけのダンスを作ったのが思い出されます。) そのような拡張されたダンス経験を、zoomというさまざまな意味で拡張的なメディアをつかって試行しているのかなと思いました。

沢山遼(さわやま・りょう)

沢山遼(さわやま・りょう)
1982年、岡山県生まれ。近現代美術/美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2009年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集第一席。主な共著に『現代アート10講』(田中正之編著、武蔵野美術大学出版局、2017年)などがある。

レビュー

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ありがとうございます!
それでは、私たちの NEW STYLE パフォーマンスをどうぞお楽しみください!

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